問題を起こした人が異常だとは限らない

要旨

 人は「あいつが問題を起こしたのはあいつがおかしいからだ。自分はそうはならない」と安易に思い込んで安心してしまいがちです。僕はそうやって安心に飛びつくことに慎重になりたいとは思っていますが、それは難しいです。

背景: 「テラ豚丼」について

 「テラ豚丼」をめぐる騒動については吉野家テラ豚丼 まとめ (日々是餃子; ruushu さん) を読んでいただけば良いのですが、概略だけ書きます。吉野家の店員が店舗で山盛りの豚丼を作ってその様子を録画し、その映像を「【吉野家で】メガ牛丼に対抗して、テラ豚丼をやってみた【フリーダム】」というタイトルでニコニコ動画に投稿したところ、「仕事中に遊ぶな」「食べ物で遊ぶな」などと 2 ちゃんねるで抗議の声が上がり、吉野家に電話で抗議する人も現れた、という騒動がありました。なお、「メガ牛丼」はすき家が 10 月から発売しているメニューの名前です。

「テラ豚丼」騒動に対する感想

 僕は動画自体をまだ見ていないのですが、最初に騒動を知ったときの感想は次のようなものでした。 (1) くだらないことで目立ちたがる人がいるものですね。 (2) つまらないことを重大事のように騒ぎ立てる人もいるんですよね、やれやれ。 (3) でもまあ、こういうことをしたら叩かれても仕方ないでしょうね。

 と思っていたら、「こういうことをしたら叩かれても仕方ないでしょうね」と考えるのは、自分も「こういうこと」をしてしまうことを恐れている (「自由への恐怖」がある) からであって、その考え方はテラ豚丼の人を叩いている人が叩く理由とまったく同じだ、と指摘するブログ記事がありました。常野雄次郎さんの「テラ豚丼祭りと『自由への恐怖』」 ((元) 登校拒否系) です。えー! 僕は仕事中に食品で遊んでいるところを撮影して動画をインターネットで公開するような思慮の足りない目立ちたがり屋さんとは根本的に違うし、それを観て重大事であるかのように電話でイチャモンを付ける暇な人とも根本的に違うんです。そういう変わった人たちと一緒にしないでください。

 でも、何か嫌な予感がします。「あいつが問題を起こしたのは、あいつがおかしいからだ。自分はそうではない」という考え方には大きな問題があったような記憶がよみがえります。

問題を起こしたあいつらは異常だ、という幻想

 以前アメリカの同時多発テロ事件について扱ったテレビ番組で、「犯人はどうして事件を起こしたと思うか」と尋ねられたアメリカ人女性が「彼らはまともではないから、彼らの考えることなどわからないし、わかりたくもない」というような答えを返していました。たぶんまだ 2001 年か 2002 年のことだと思います。原因が自分たちの側にもあるかもしれないと思わないことが、まさにテロの原因ではないだろうか、と複雑な気分になったものです。今の僕は、まともでない犯人のことなど知ったものではないと大真面目に答えた彼女を笑えません。

 「あいつは異常、自分は正常」という考え方をすると真実から目を背けることになってしまう別の例を思い出しました。徳保隆夫さんの「いじめは他人の犯罪ではない」 (趣味の Web デザイン > 備忘録) で参照されていて知った、心理学者の碓井真史さんの「秋田小 1 男児殺害 (秋田連続児童殺害) 事件の犯罪心理 3」 (心理学総合案内 こころの散歩道) で紹介されている事例です。秋田連続児童殺害事件の被告人である畠山鈴香さんは高校時代いじめに遭っていました。この文章で碓井さんは、彼女がいじめに遭っていた原因はいじめている同級生が異常だったからとは言えないと指摘します。えー! いじめをするのは異常ですよ。僕はそういういじめをするような異常者とは根本的に違うんです……とは、僕は言えませんでした。

 彼女が「反社会性人格障害」や「演技性人格障害」の傾向をもっていたとすると、平気でルールを破り、責任を果たさず、他者を傷つけ、同時に自分に危害が及ぶことにも無頓着で、そして芝居じみた大げさなウソをとても上手くついていたが想像できます。

 そういう人をいじめた同級生が単に異常なだけ、自分は同級生の立場になってもいじめる側には絶対にならない、とは、僕には断言できません。いじめをした人が悪くないという意味ではありません。僕も悪い側になっていた可能性が十分ある、と言っているのです。

 問題を起こす人は異常であってほしい、自分はあいつらとは違うと保証されたい、という幻想を自覚して差し引いて考えないと、何かの拍子に間違った判断をしてしまいそうです。

 僕は今でも、「テラ豚丼」の人を非難することには一理あると考えていますし、そう考えることは黒人があえて白人席に座ることを主張したときそれを「非難することには一理ある」と考えるのとは何か違うという直感を捨てていません。でも、何が違うのでしょう。これが、「テラ豚丼」の人を異常者扱いすることで自分との間に線引きをしたいという願望の表れでない自信はありません。

2007 年 12 月 9 日公開。著者: fcp / このサイトについて