禁じ手をどう防ぐか

要約

 会社が自社の宣伝のためにウィキペディアに自社の項目を立てるという行為は、ウィキペディアの定めるルールに反するし、長期的にはウィキペディアという一大プロジェクトを使い物にならなくしてしまうかもしれないので、僕は道義的にも許されない「禁じ手」だと思います。しかし、それが会社にとって得になるなら、会社はそれをしないわけにはいきません。だから、それを防ぐためには「道義的に許されない行為が得になる」という状況を解消する必要があります。誰かその方法を考えてください。

ウィキペディアの紹介

 改めて紹介する必要もないかもしれませんが、ウィキペディアは誰でも編集できる百科事典です。ウィキペディアは調べ物をするときの情報源として重宝しており、ウィキペディアのおかげで有用な情報が得られることには大変感謝しています。

 基本方針とガイドラインのページによれば、ウィキペディアの目的は、「信頼されるフリーな百科事典を―それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げること」です。インターネットが普及する前は誰もこんなことが実現できるとは思わなかったでしょう。それが 2001 年のウィキペディアの誕生 (英語版は 1 月、日本語版は 5 月) 以来急速に成長しています。記事数だけですべてを語ることができないのは承知の上で、やはり簡単なので記事数を見ると、英語版は 150 万日本語版でも 29 万で、 5 年半程度でこんなに大きな情報源になっていることに感嘆するとともに、 20 年前にはきっと誰もが不可能と思っていたことが今や確かに現実味を帯びてきていることを実感します。

ウィキペディアを使った宣伝という禁じ手

 ウィキペディアの公式方針の一部である「ウィキペディアは何でないか」には、「ウィキペディアの項目は広告の場ではありません」と書かれています。また、公式方針の草稿段階である「自分自身の記事をつくらない」では、自分自身や自分の勤める会社の記事を新規に作るのは避けた方が良いことが説明されています。このように、自社の宣伝のためにウィキペディアに項目を作るというのは、ウィキペディアの方針に反しますし、誰もがそれをすればウィキペディアの目的とする信頼性が損なわれ、ウィキペディアの仕組み自体が崩壊してしまう恐れがあります。

 ところが、企業が宣伝のためにウィキペディアに自社の項目を立てるという考え方があるようです。

 僕はこのことを「Wikipedia は広告の為の場所ではありません」 (スラッシュドット) で知りました。スラッシュドットの記事はネットショップ & アフィリエイトのための SEO 対策 > Lesson 2. ページランクの高いサイトとリンクする方法 (Internet Watch) という記事に、検索サイトにおける自社サイトの優先順位を上げる方法として、「ウィキペディアに自社の項目を立てて自社サイトにリンクを張る」という方法が書かれている、というものでしたが、 Impress Watch の記事は次の二つの意味で当ページの内容とは関係がなくなっています。

  1. 当ページの初版公開後、 Impress Watch 記事の当該部分は削除されました。
  2. 実際には、ウィキペディアから外部サイトへのリンクには rel="nofollow" という指定が付いており、検索エンジン (少なくとも Google, Yahoo!, MSN Live Search) はこれを見てこのリンクをリンク先ページの優先順位を決めるときに無視するようになっています。なので、ウィキペディアで自社の記事を立てて自社サイトへリンクを張っても、検索結果で上位に表示されるのはウィキペディアの記事であって自社サイトではないと思います。

しかし、この二つの事実は当ページでの主旨には無関係です。 1 の「削除」については功罪両面があると思うので後述します。下の「記事の責任者を責めることの功罪」を参照してください。

 ウィキペディアを宣伝に使うことについて、スラッシュドットで「これは禁じ手でしょう」と書いているかたがいました。「禁じ手」というのは、まさにぴったりの表現だと思います。実行可能で、得になるかもしれないけれど、道義的に許されない。僕もこれが禁じ手であることには同意します。

禁じ手を「防ぐ」必要性

 でも、ウィキペディアの方針を知らずに編集する人もいるでしょうし、方針を知った上で意図的に宣伝のために編集する人もいるでしょう。もしもいったん誰かがこれをして成功してしまったら、「禁じ手だからやめておこう」と思ってやめた人が馬鹿を見るのです。具体的には、ライバル企業に禁じ手をやられて自社が損をしたり事業が失敗したりしても黙っていられますか、出資者は黙って見ていてくれますか、社員の首が飛んだりしませんか、ということです。禁じ手をやめさせるには、それをして得になるという状況を解消する必要があると思います。「禁じ手だ! 卑怯だ!」とどこかのウェブサイトや掲示板に書いたところで抑止効果は大してありません (少しはあると思います。これも後述)。

 こんな「禁じ手」を使うのは企業の良識のなさの表れだ、と主張する人にわかってもらいたいのは、現状では企業がこの「禁じ手」を実行するかしないかは、良識がないかあるかで決まるのではなく、良識同士が衝突した状態でどちらを優先するかで決まるのだということです。ウィキペディアのガイドラインに従うことは、ウィキペディアを信頼できる百科事典に近付けることを通して社会に貢献することになります。一方で、自社の宣伝をすることは、自社を発展させ、自社が社会的に良いと信じる事業を成功させることを通して社会に貢献することになります。これをウィキペディアのガイドラインに従うかどうかだけを見て善と悪の対立と理解するのは一面的です。

 なお、会社の宣伝項目が乱立することでウィキペディアそのものが使い物にならなくなるという可能性もあります。そうなってしまったら、社会的な損失を招くだけではなく、ウィキペディアの重要性が下がることでせっかく立てた自社の項目も宣伝の意味がなくなります。しかし、そうなるのは先のことです。数週間程度のタイムスパンの話を考えるなら、自社の項目をライバルより先に作って注目を集めるという行動は理に適っていると思います。

 これは、無知な会社が一つ二つウィキペディアに自社の項目を立てるのを防ぐなどという矮小な話ではなく、誰かが始めるのを恐れた多くの合理的な会社が生き残りを賭けてウィキペディアに大挙して押し寄せ自社の項目を我先に立て、その結果ウィキペディアが使い物にならなくなって宣伝も短期的にしか有効でなくて、後には何も残らない、という社会的損失を未然に防ぐという話です。

記事の責任者を責めることの功罪

 記事の著者は少なくとも次の点で責められるだけのことをしたと思います。

 だから、この著者を擁護する気はありません。でも……。

 前節の内容から僕の考えはわかってもらえると思いますが、これは Internet Watch の記事の著者や Internet Watch を運営するインプレスを責めて解決するような小さな問題ではありません。この著者が書かなくても別の誰かが書いたかもしれないし、 Google で検索をすればウィキペディアの記事が上位に出てくるのを毎日見ていれば、誰もが思い付いても不思議はない話です。

 ウィキペディアのユーザーのインプレスに対する抗議が功を奏したのでしょう、前述の通り Internet Watch の記事から当該部分は削除されました。これによって、記事の著者や Internet Watch やインプレスの信頼は多少下がったかもしれません。しかし、そんな一人や一社の評判は小さなことです。

 インプレスに抗議を行い、実際に記事が削除されて良かったのは、この禁じ手を宣伝しただけで実際に怒る人がいるということを一部の人に知らしめた可能性があることです (掲示板やウェブサイトで、これは卑怯だ、と書くことの利点も同じです)。これによって、この禁じ手を選択しようとする企業は、「でも待てよ。こんな宣伝をするとかえって評判が落ちて、自社の利益にならないかもしれない」と考えるようになるかもしれません。禁じ手の利点を減じることによって、企業は安心して、ウィキペディアを宣伝に使うという禁じ手を避け、別の道を選ぶことができるでしょう。

 一方で、この記事の当該部分が削除されたことで、良くない情報が隠蔽されたといって安心するのはナイーブな考え方だと思います (情報セキュリティーでの「秘匿による安全性 (security through obscurity)」の問題点を聞いたことがある人なら、それと通じるものがあるということがわかってもらえるのではないかと思います)。一時的には情報を隠すことでウィキペディアが守られるとしても、長期的には、すべての情報が明かされても大丈夫なようにすること、今の場合であればウィキペディアを破壊することが企業にとって短期的に得になってしまうという状況を改善することが必要だと思います。

まとめ: 禁じ手と法学の永遠の問い

 道義的に悪いことや長期的にみて社会的損失になる「禁じ手」が短期的にみて得になる、というゆがんだ状況では、会社は無知あるいは近視眼的な考えから「禁じ手」を選択してしまうかもしれないし、それ以上に、ライバル企業との競争などの圧力によって、結果的に「禁じ手」を選択せざるを得ない状況に追い込まれる可能性があります。我田引水かもしれませんが、 47th さんが 2006 年 11 月まで約 2 年間書かれていたブログ「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」での記事「結果よければ全てよし」と「『必修』科目の幻想」で、これに近い話題が扱われていると感じます。法学について、法律家のかたのブログを読んだことがある程度の素人である僕がこんなことを書くのは気が引けますが、禁じ手が得になるという状況をいかに防ぐかというのは、法学が探究する深遠な問いの一つのはずです。すべてを解決する特効薬などありませんが、きっと法学を学ぶことが何らかのヒントになるのではないかと思います (だから僕は今更になって法学を勉強したいわけですよ。それが唯一の理由ではありませんが……)。

 ウィキペディアを使った宣伝という禁じ手が得になる状況を解消する方法について、僕にはアイデアはありませんが、もしも誰にもそのためのアイデアがなければ、禁じ手は「やったもの勝ち」になってしまいます。そうなる前に、誰かアイデアを出してください。ウィキペディアという有用な発展途上の百科事典を守るために。

付録: 日本語文字を URL に使う方法について

 当ページの内容と直接の関係はありませんが、 Internet Watch の当該記事中で不正確なこととして気になった点がもう一つあり、削除されずに残っているし、指摘している人が見つからないので書いておきます。

 ウェブサーバーで「%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%B3」という名前のディレクトリを作ればその URL が Google 等の検索サイトで「ブーメラン」という名前で表示されるように書かれていますが、これは間違いではないかと思います。そうではなくて、サーバーと検索サイトの両方が Internationalized Resource Identifiers (IRI; RFC 3987) に対応していれば、サーバーに「ブーメラン」というカタカナの名前のディレクトリを作ったときに検索サイトでも「ブーメラン」と表示される、というだけの話で、それが IRI-to-URI mapping によって「%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%B3」と変換されて Internet Explorer などのブラウザのアドレスバーにそのように表示されることはサーバーで作るべきディレクトリの名前とはまったく関係がない……というのが僕の理解ですが、 RFC をちゃんと読まず、ウェブサーバーの挙動もちゃんと確かめずに書いているので、僕の方が間違っているかもしれません。

主な更新の記録

2006 年 11 月 23 日公開、大幅な加筆修正を経て、 12 月 8 日最終更新。著者: fcp / このサイトについて