「『水からの伝言』を信じないでください」の感想文

要約

 田崎晴明「『水からの伝言』を信じないでください」で説明されているのは、科学とは何であって、一見科学と関係あるように見えるお話とはどこが違うかということであり、文章に一貫して流れているのは、著者の科学に対する情熱、そして人としての尊厳です。

 このページでは、僕が田崎晴明「『水からの伝言』を信じないでください」を読み素晴らしいと思った理由を説明します。僕は小学校の頃から読書感想文が苦手で、「原稿用紙 3 枚分」と言われて 2 枚プラス 1 行なんとか書くような子供だったので、うまく書けるかどうかわかりませんが。

科学に対する情熱と人としての尊厳

 著者はこの文章で、科学とは何であって、一見科学と関係あるように見えるお話とはどこが違うかを、「水からの伝言」というお話を題材にして説明しています。タイトルに反して、「水からの伝言」というお話を否定するのが主目的ではないように思います。文章に一貫して流れているのは、著者の科学に対する情熱、そして人としての尊厳です。これがしっかりと書かれていることに敬意を払います。

 と、もうこれだけで感想文はだいたい終わってしまったのですが、これだと原稿用紙 1 枚にもなりません。どうしましょう。

反証実験?

 「『水からの伝言』を信じないでください」なんて文章をごちゃごちゃ書かなくても、実際に「ありがとう」という紙を見せた水と「ばかやろう」という紙を見せた水を用意して氷の結晶を作る実験をして、違いがないことを確認すればよいではないか、という主張があるようですが、この主張には僕は反対です。

 「水からの伝言」を主張する人たちは、実験の条件を十分に述べていないようです。この状態では追試を行うことも不可能ですが、あえてそれらしい条件を整えて追試らしきものをしたとしましょう。それで、「水からの伝言」に反する結果が出たとします。これを発表して、何になるのでしょうか?

それでは「水からの伝言」を否定しきれません。
 あくまでも「それらしい条件を整えた実験らしきもの」なので、「水からの伝言」を主張する人たちは「そんな条件では駄目だ」と主張してきて堂々巡りになる可能性があります。さらに、「実験結果を再現することもできない無能な科学者」というレッテルを貼って世間に向かって余計なことを言い始める可能性があります。でも、こんなことは些細な問題で……。
「水からの伝言」を否定できたとしても、それではやっていることが変わりません。
 「それらしい条件を整えた追試らしきもの」の結果を世間に公表して、「だから『水からの伝言』は間違っているんですよ」という結論を出すって、それこそ一見科学と関係あるように見せたお話じゃないですか。それで世間が納得すればいいんですか? それは「水からの伝言」を主張する人たちがしていることと大差ないと僕は考えます。

 僕は、著者が世間に「『水からの伝言』は間違いなのかー」と信じ込ませるための安易な方法に走らなかったことに敬意を表します。

タイトルに込められた思い

 タイトルに「信じないでください」という言葉が使われていることに注目しておきましょう。僕の知る限り、科学者はある現象に対する説明を信じたり信じなかったりするわけではありません。実験結果と矛盾せず、しかも簡潔な説明が見つかったら、大喜びして暫定的に受け入れ、その説明から予想される実験結果について「ほぼ確実にこうなるだろう (今暫定的に受け入れている説明が正しい限り、こうなるはずだ)」とは言うけれど、それは説明を信じるのとは違います。科学者が信じることもいろいろありますが、それはもっと高い次元の話で、個々の現象の説明を信じることはないのです (実験結果と矛盾しない説明が複数あったら、最も簡潔な説明が良い、という「オッカムの剃刀」が、多くの科学者が信じることの例です)。

 この文章は「水からの伝言」というお話を題材にしているので、「『水からの伝言』を信じないでください」というタイトルになっていますが、中を読めば、その他いろいろな科学と関係ありそうなお話も学説も何もかも、「信じる」ものではない、自分で考えてほしい、ということを主張していると思います。

2006 年 11 月 12 日公開。著者: fcp / このサイトについて