「最近の fcp」過去ログ フィード

 同じ日付の項目が複数並んでいる場合がありますが、必ずしも間違いではありません。

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2007 年 3 月

2007 年 3 月 25 日

 そういえば、「定規とコンパスを使った作図」で使っている図は Inkscape で描いたのでした。 3 月 23 日にバージョン 0.45.1 が出たばかりです。

2007 年 3 月 25 日

 定規とコンパスを使った作図」の中で「藤﨑源二郎」という数学者の名前が出てきますが、この名前の「﨑」の字は右上の部分が「大」ではなく「立」になっています。この字は Unicode に U+FA11 として含まれます。

藤﨑源二郎『体と Galois 理論 II』 (岩波講座基礎数学 代数学 v、岩波書店、 1977 年) の表紙

 ところが、 U+FA11 について調べると、すぐにこの文字が「CJK 互換漢字」のブロックにあることがわかります。互換文字とは、過去使われていた文字コードとの互換性のために Unicode の中に残されている文字のことで、新しく書く文書では特に理由がない限り使うべきではありません。「べきでない」と言われても僕は使いまくっていますが、全角空白 (U+3000 IDEOGRAPHIC SPACE) なんかは互換文字です。

 じつは、 U+FA11 は CJK 互換漢字ブロックにあるけれど、互換文字ではなく通常の CJK 統合漢字なのです。ほかにもいくつか、 CJK 互換漢字ブロックの中に互換文字でない CJK 統合漢字があります。ああ、ややこしい。もっと知りたい人は Known Anomalies in Unicode Character Names (Unicode Technical Note #27) を参照してください。

2007 年 3 月 11 日

 スラッシュドットの「スラッシュドットに聞け!」セクションで、「文字エンコーディングは UTF8 で本当に十分なのか?」という記事がありました。それに対して、僕は「UTF-8 で十分なわけないじゃん」と答えながら、答えの中で、

僕は 1 文字 2 バイト以内であることが重要になるようなギリギリの世界でプログラムを書く予定はないので、日本語以外も扱える UTF-8 や UTF-16 で十分です (UTF-16 は Windows のネイティブの符号化方式なので使います。それがなければ UTF-8 だけで十分)。

と書きました。でも、このサイトのページ (のほとんど) はシフト JIS コードで書かれています! 「嘘つき」と言われる前に言い訳をしておきます。

 僕がページをシフト JIS で書くのは、 UTF-8 で書くと日本語の文書でも Internet Explorer (6 でも 7 でも) が日本語用に設定したフォントを使ってくれなくて、それが少しだけ気に入らないからです。つまり、ブラウザーの実装の都合です。まあ些細な話です。この点を無視できるくらい UTF-8 にする利点が発生すれば、 UTF-8 にするでしょう。

 さすがに UTF-16 とか、 US-ASCII にして日本語は全部 フ みたいに文字参照とか、 EBCDIK+KEIS とか BOCU-1 とかにする可能性はないと思います。

2007 年 3 月 9 日 ウィキペディア

 ウィキペディア日本語版のメインページ (トップページ) の新デザインの予選投票が締め切られました。僕のいい加減な集計では、投票資格を持つ人のうち実際に投票をした人は全部で 212 人で、案外多くて驚きました。投票資格を持つ 2,774 人と比較すると投票率は 7.6 パーセントと言えそうです。

 また、有効投票の数は 576 票でした。この投票では好きな個数の候補に投票できるため、投票した人数とは一致しません。投票した人は一人当たり平均 2.7 個の候補に投票していることになります。

2007 年 3 月 6 日 日本語

 味にコクがあることを意味する「まったり」という表現は 1980 年代にできた言葉であって、国語辞典に注釈なく載るような語ではない、と思っていたのですが、デジタル大辞泉 (小学館) にも大辞林第二版 (三省堂) にも何食わぬ顔をして載っていて、自信がなくなってきました。それでもこれが昔からの日本語だとは信じられないので、時間ができたら図書館で昔の辞典を見てみます。

 ところで、たぶん「まったり」と関係があるであろう語に「まったく」があります。「まったく」 (全く) は現代語では副詞ですが、もともとは「まったし」 (全し; 意味は「完全である」) というク活用の形容詞の連用形でした。「まったく」の音便形は「まっとう」で、現代語では「職務を全うする」などの「まっとうする」 (全うする) や「まっとうな論理」などの「まっとう」 (全う、あるいは当て字で「真っ当」) の形で使われます。

 一つ前のエントリーを書いていたら、「コンテンツを死蔵するな」 (趣味の Web デザイン - 備忘録 2007 年 3 月 4 日; 徳保隆夫さん) が載っていました。フォローが早いですね (僕が遅いだけとも思いますが)。

 金にならないものはみんなまとめてパブリックドメインにすればいいんだ。そうすれば、オリジナルは作れないけど改作だけは異様にうまい人とか、文章の手直しが神がかり的な人とか、記事を構成して雑誌を作るだけが取り得の人とか、今まで活躍の場がなかった才能が勇躍し、新たなコンテンツ市場が立ち上がるはずだ。

 何がパクリだ。くだらない道徳だね。そんな制限はこの世に必要ない!

 あー、すっきりした。

 でも僕はまだ迷っているので、転載には出典の明記を求めていますし、改変して利用することについては、改変の定義も含めわざと何も書いていません。曖昧にしておいていざとなったらケチをつける余地を残しておくのはズルいかもしれないけれど、今はそうしています。

 Yahoo!ブログ陥落……我が夢、破れたり」 (趣味の Web デザイン - 備忘録 2007 年 3 月 2 日; 徳保隆夫さん) より引用。

プロの定義

 私は著作権税の創設を主張します。年間10万円納税すると、その人物に著作権を主張する権利が与えられます。納税以前の著作物は保護対象外。また翌年の支払いが滞ると、それ以降の著作物はやはり保護されない。保護期間は最後の納税から10年間。遺族が著作権税を払い続けることも可能。ただしいったん著作権が切れたものが再び保護されることはない。

 というわけで、年間10万円払えるのがプロ、他はアマチュアという線引きです。

 そう書くと「世の中すべてカネで解決すると思っているのか」という反論がくるのは間違いないと思います。徳保さんもわかって書いているのは明らかですが。

 価値観はカネですべて表現できるわけではないけれど、じゃあほかに外から見てわかる表現方法に何があるのかと言われると、「いくらまでなら払えるか」というのは比較的うまい指標だと思います。なので、僕は基本的に徳保さんのスタンスに賛成です。一人年間 10 万円という額とか、そもそも一人あたりで課金するのかとか、そのあたりは他の選択肢も検討したいところですが。

 タイムリーなことに、僕は全然違う場所で価値観をカネで表現することについて書いています。

 ちなみにこのサイト「フルーツチョコレートパフェ」はもともと転載不可としていましたが、 2006 年 12 月 5 日以降、出典を明記してもらえば転載可としています (転載の詳しい条件は「このサイトと管理人について」を参照)。「閉鎖する前に考えてほしいこと」 (趣味の Web デザイン; 徳保隆夫さん) を読んだのがきっかけだったと思います。変えた理由は変更のログに書いてありました。

いろいろ考えた結果、転載許可。条件を読んで考えてくれる人なら転載してもらっていいし、読んでくれない人は何書いても仕方がない。僕の文章が僕のサイトに載っている必要はないし、うまくいけばそのうち移転するつもりで、移転したらリンクは全部駄目になってしまうので。

2007 年 3 月 3 日 ウィキペディア

 ウィキペディア新デザイン選定投票の有資格者のリスト」では、ウィキペディア日本語版のページの編集の記録のうち本文以外をすべて含むダンプファイル jawiki-20070224-stub-meta-history.xml.gz を使いましたが、怖いもの見たさで本文も全部含むダンプファイル jawiki-20070224-pages-meta-history.xml.7z を見てみました。このファイルは 7-Zip で使われている 7z 形式で圧縮されており、圧縮後で 1.1 ギガバイトです。展開すると、すべてのページのすべての版が (差分形式とかではなく) そのまま含まれたファイルが出てきます。その大きさなんと 110.8 ギガバイト。僕の使っている PC ではディスクの容量不足で展開すらできません。本当に怖いものを見てしまいました。敗北。

2007 年 3 月 2 日 プログラミング Unix

 今日の豆知識: GNU sort はソートするデータ全体がメモリに入りきらないほど大きいと自動的に外部ソートを使います。外部ソートはアルゴリズム自体は簡単ですが、何よりそんな配慮をしてあることに驚きました。単純にメモリ不足で落ちるものと思っていたので。

2007 年 3 月 2 日 ウィキペディア

 僕は、ウィキペディア日本語版のメインページ (トップページ) のデザイン・内容のリニューアルについて、予選投票のお手伝いをしています。

 2 月 26 日に書いた「投票資格」で、「2006 年 12 月 11 日 (木)」という誤った日付が出てくるのは元が誤っていたからですが、気付かずに写した僕にも責任はあります。すみません。とりあえずウィキペディアでこの誤りについて報告しました。年月日が正しく曜日は誤記ということで、投票資格の文面を修正し、投票自体は続行する可能性が高いと思います。

 こっそり直してしまえば誰も気付かないんじゃないかなー、とも一瞬思ったのですが、それは後でバレたときに揉めそうというだけでなく、なにか「フリーの百科事典」に反する行為のような気がして (はっきりと理屈があるわけではないのですが)、むしろ誤りがあることを明確にするべきだと思ったので、こっそり直さず報告したことに今のところ悔いはありません。とはいえ、これで「投票資格に誤りがあったのならこの投票は無効だ!」と揉め始めてしまう恐れもあって、そうなったときに本当に後悔しないかどうかはわかりませんが。

 一つ言えるのは、僕はこの投票にひとごととして軽々しく参加しているということです。そもそも僕は現段階のメインページのデザイン変更に賛成か反対かと問われれば反対でした (投票権がないし、あっても投票期間の間はそれどころではなくて投票できなかったと思いますが)。でも、デザイン変更の投票は実施されることになったので、面白そうなので関わっているだけです。責任ある立場にないので、嫌になったらいつでも関わるのをやめられるし、メインページの投票の結果どんなメインページが採用されようと僕自身は大きな被害を被りません (どうしても採択されたメインページが耐えられなかったら、プロキシーを咬ませてメインページの中身だけ差し替えることだってできるので……)。関わりはしているけれどコミットはしていないという、遊び半分の参加です。これを無責任だと非難する人がいるかもしれませんが、僕は悪いことだとは思っていません。今後も僕のウィキペディアへの関わり方は、恩恵は受けられるだけ受けるとしても、貢献なんてものは本当の意味では何もしないと思います。「ウィキペディアをありがたく使っているフリーライダー」と自分で書いている通りです。

2007 年 3 月 1 日 ウェブサイト運営

 僕が Acid テストを嫌う理由」の中で「IE7 のズーム機能は CSS 使い泣かせ」 (備忘録 2006 年 2 月 1 日; 徳保隆夫さん) の一部を引用して、 Acid2 テストの結果など一般ユーザーが気にするものではないという持論を補強しようとしたら、引用部はブラウザーが仕様に準拠しても生じるブラウザー間の差を肯定しているだけで、ブラウザーが仕様に準拠しないことを是とする趣旨ではないという批判をいただきました。「Web ブラウザは仕様の範囲内で個性ある画作りをしてほしい」 (備忘録 2007 年 2 月 28 日; 徳保隆夫さん)。僕としては素晴らしいウェブサイトをお作りになる徳保さんに拙文を取り上げていただいただけで光栄なのですが (←ミーハー)、ちゃんとしたフォローアップはもう少し頭の働いているときにしたいと思うので、気長にお待ちいただければと思います。

 「ブラウザーが画作りをする」というのも、少なくとも以前の僕には絶対に受け入れられなかった表現です、という感想から、たぶんどういうフォローアップを書くかは予想が立つかと思います。


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